「皆さん これが最後です さようなら」

 

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真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)とは、1945年8月20日に樺太(サハリン)南西部の街・真岡(ホルムスク)で発生した事件です。

この事件では、ソ連軍が真岡に攻め入った際に、真岡郵便局の電話交換手12名のうち10名が青酸カリで集団自決を図り、9名が死亡しました。当時の郵便局では電信電話も管轄していたため、電話交換手は疎開(引き揚げ)せずに業務を続けていました。

事件当時、ソ連軍の侵攻に対し自死を選んだ女性たちは「美談」として語られることもありましたが、事件を後世にどう伝えていくか取り組む人もいます。

この事件は、沖縄のひめゆり学徒隊と対比して「北のひめゆり(事件)」とも呼ばれています。

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ホルムスクは、1945年(昭和20)以前の日本領時代には真岡(まおか)と呼ばれていました。

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侵攻が始まった1945年夏を舞台に制作された映画、『樺太1945年夏 氷雪の門』は、1974年に公開されました。

真岡郵便局の電話交換手9人の若い女性たちが最後まで通信連絡をとりつづけ、命を投げうった姿を描いています。原作は金子俊男の「樺太一九四五年夏・樺太終戦記録」で、脚本は国弘威雄、監督は村山三男、撮影は西山東男が担当しています。

戦闘シーンは陸上自衛隊の全面協力のもと撮影され、当時で5億円以上をかけて製作された戦争超大作です。

 

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